美大を出た人はどうなるのか

「美大を出て食べていけるのか」は、受験生本人も、家族も、いちばん気にするところだと思います。

この問いに、はっきりした答えはありません。ただ、二つのことは言えます。一つは、美大を出た人の進路が「就職か、作家か」の二択ではないこと。もう一つは、食べていけるかどうかが、本人の実力だけでなく、その時どきの経済環境に大きく左右されるということです。

このページでは、公表されている進路のデータと、この30年ほどの経済環境の移り変わりを並べて見ていきます。

進路データの読み方

大学が公表している進路のデータをまとめた集計によると、東京藝大の2024年度(2025年3月卒業)の学部卒業生234人の内訳は、進学114人、非常勤・自営45人、就職41人、その他34人でした。大学院の修士課程の修了生412人では、就職128人、非常勤・自営112人、その他98人、進学61人、教職13人となっています。

私立美大では傾向が変わります。同じ集計では、武蔵野美術大学の学部卒業生1,121人のうち、就職が548人、進学145人、作家活動やフリーランスを含むその他が428人でした。

「就職率」だけでは測れない

こうした数字を見るときに大事なのは、「その他」や「非常勤・自営」の中身です。ここには、作家として活動を始めた人、フリーランスとして仕事を受け始めた人、制作を続けながらアルバイトで生計を立てている人、留学や進路の準備をしている人などが含まれます。

一般の大学の就職率と同じ感覚で見ると、美大の数字は低く見えます。けれど、美大を出た人の多くは、企業に就職する以外の道を選んでいるというだけのことです。逆にいえば、その道は会社員のような決まった給料が約束されていない道でもあります。

数字は年度によって変わります。志望する大学の最新の進路状況は、各大学が公表している資料で確認してください。

この30年の経済環境

美術系の仕事は、景気の影響をまともに受けます。企業が広告や販促にお金を使えば制作の仕事が増え、使わなくなれば真っ先に削られるからです。ここでは、美大を出た人たちが働いてきた時代を、おおまかに振り返ります。

1990年代〜2000年代前半:氷河期の中で

1989年末に株価がピークをつけ、1990年から91年にかけてバブルが崩壊しました。その後の長い不況の中で、新卒の採用は絞られ続け、この時期に卒業した人たちは、いわゆる就職氷河期を経験しています。

美術の世界も無縁ではありませんでした。バブル期に盛り上がった美術品の取引は冷え込み、作品を売って生活することは難しくなりました。デザインや制作の仕事も限られ、美大を出た人にとって、経済的にはとても厳しい時期でした。

2008年〜2010年:リーマンショック

2008年秋の金融危機のあと、企業は広告費を大きく削りました。2009年の日本の総広告費は5兆9,222億円で、前年の88.5%まで落ち込みました。とくに新聞広告費は前年の81.4%まで減っています。

広告費が減るということは、そこにぶら下がる撮影、イラスト、グラフィックデザイン、映像制作などの仕事が一斉に減るということです。フリーランスで制作をしていた人たちにとって、この時期は本当に厳しい数年でした。

2010年代:意外と仕事があった時期

2010年代に入ると、状況が変わります。

スマートフォンの普及とともにソーシャルゲームが一気に広がり、キャラクターや背景のイラスト、UIのデザインなど、絵を描ける人の仕事が大量に生まれました。並行して、各地で芸術祭が開かれるようになり、美術作品の制作や設営に関わる仕事も増えました。2020年の東京オリンピックに向けた都市開発やイベント、サインや空間のデザインの案件も動いていました。

この時期、美大を出た人の多くが、なんとか制作に関わる仕事で食べていくことができました。景気がよかったというより、美術系の人材を必要とする分野がいくつも同時に立ち上がっていた、という方が近いかもしれません。

2020年代前半:コロナと内製化

2020年、新型コロナの影響で人の動きが止まりました。2020年の総広告費は前年の88.8%まで落ち込み、中でもイベント領域は1,089億円と、前年の60.4%にまで減っています。芸術祭や展示、イベントの仕事が軒並み止まったことが、この数字にも表れています。

その後、経済が持ち直してからも、以前と同じようには戻りませんでした。企業がコストを抑えるために、それまで外注していたデザインや制作を社内で行うようになったからです。社内にデザイナーを置き、既成のテンプレートやツールで済ませる。外部の制作者に回っていた仕事の一部が、そこで消えました。

2020年代後半:AIが仕事の形を変える

2022年ごろから画像生成AIが広く使われるようになり、2020年代の後半には、制作の現場のワークフローそのものにAIが組み込まれるようになりました。

ラフ案を何十枚も出す作業、素材を加工する作業、量産が必要な部分の仕事は、AIに置き換わりつつあります。一方で、何をつくるかを決める仕事、AIの出力を選んで直す仕事、AIでは代わりにならない手ざわりや作家性が求められる仕事は残っています。仕事がなくなったというより、仕事の中身が急速に入れ替わった、というのが実際のところです。

この変化のただ中にいるので、数年後にどうなっているかは誰にも分かりません。ただ、この30年を振り返れば、美術系の仕事の環境は、だいたい10年ごとに大きく変わってきました。今の状況も、そのうちの一つです。

コラム:仕事は人づてに回ってくる

この業界で働いてみて実感するのは、仕事が求人票からではなく、人づてに回ってくることの多さです。大学の先輩から声がかかる、一緒に展示をした人から紹介される、前の現場で会った人が次の案件を持ってくる。そうやって仕事がつながっていきます。

これを「実力より人脈の世界だ」と受け取ると、話を読み違えます。発注する側から見ると、制作を頼むというのは、仕上がりの質と納期を預けるということです。ポートフォリオだけでは、その人が締め切りを守るか、修正にどう対応するかは分かりません。だから、一緒に仕事をしたことのある人や、信頼できる人からの紹介が選ばれます。

つまり、人づてに仕事が来るのは、実力の代わりに人脈がものを言うからではなく、「この人に任せて大丈夫だった」という記録が人を通じて伝わるからです。学生のうちから、共同制作や展示、アルバイトの現場で丁寧に仕事をしておくことが、そのまま将来の仕事につながります。

この時代をどう生きるか

年表から言えることを、三つだけ挙げておきます。

収入の柱を一つにしない:どの時代にも、ある分野が縮み、別の分野が伸びています。制作の仕事、教える仕事、勤めの仕事を組み合わせて生活している人は、一つの分野が冷え込んでも踏みとどまれます。

技術の幅を持つ:手で描く力に加えて、デジタルの技術、企画や文章の力、人と組んで進める力。組み合わせられるものが多いほど、仕事の形が変わったときに動きやすくなります。

つながりを大切にする:先ほどのコラムのとおりです。作品を見せ続け、約束を守って仕事をすることが、長い目で見ていちばん確かな備えになります。

それぞれの進路については、美大卒の主な職種、作家として生きるということ、イラストレーターという進路で、もう少しくわしく見ていきます。